今日は自己紹介と僕が楽器を始めたきっかけをお話しします。
父が台湾と日本のハーフ、母がアメリカと日本のハーフです。僕自身は東京の立川生まれです。
子供の頃の音楽の記憶は立川の駅前によくきていたペルー人のミュージシャン達。そのころはカラオケではなく、生で演奏していました。良くその演奏を見ていました。
他に印象に残っているのは小学校の頃に学校に演奏に来てくれたロバの音楽座です。このとき初めてバグパイプ、リュート、サントゥールなどの古い楽器に出会ったのだと思います。今は共演するようになりました。
もう一つ印象に残っているのはゲームの音楽です。特にクロノ・トリガーの曲が好きで、最近はカバーもしていますが、ゲームの音源なのですが、民族楽器の音色を楽しんで聞いていました。
小学生の頃ピアノを習ってみたのですが、一度しか練習せず。上達せずにやめてしまいました。
この頃はまだ何かを練習して上達すると楽しいという感覚があまりわかりませんでした。
中学校までは特に音楽をせず、ヨーヨーをやったり、少年野球をやったり、カードゲームにもはまってました。中学校3年生の文化祭で友人の梅田くんからバンドに誘われます。(彼も今プロのギタリストとして活動しています)はじめはボーカルとして誘われたのですが、どもるので歌は好きだったのですが、MCがいやだから断りました。そしてドラムとしてバンドに加入します。
小学校の運動会で少しマーチングみたいなことをやったので、できるだろうと思ったのですが、ドラムの足の使い方がわかりません・・・・文化祭まで2週間だったのですが、結局手だけで乗り切りました。
高校に入るとターンテーブルを買ってDJみたいのことをしたり、また一方手塚眞さんの白痴という映画をみて、インドのタブラを始めました。高校の文化祭では、映像作品を作ってターンテーブルで音をつけたり、タブラでジャズを演奏したりしました。
大学進学についてはあまり考えていなかったのですが、漠然と海外に行きたいと思っていて、タブラをやっていたので、インドか、インド人が多いイギリスに行こうかと思っていました。
しかし当時付き合っていた彼女(今の奥さん)がアメリカのバークリーに行きたいと言って行くことにします。僕はバークリーのことあまりよく知らず、先生の名前も全然知らずに行ってしまったのでした・・・ただ学費が高かったので、1年くらいいけたらいいかなと思っていました。
今考えればとっても無謀だったのですが、人生やってみればどうにかなるものです
次回に続く